俺は、小説を書かなくなってもう3、4年経つから色々と状況も変わっているだろうと思ったけど、ここまで変わっているとは思わなかった。
何やら「感想、レビューを書く時に作者の同意を得て書け」という動きがあるらしいのだ。
しかも、「作者の意図しない読み取り方をした場合は、訂正もしくは削除しろ」とまで考えている輩がいるらしい。
表現をするということがどういうことかわかっていないとしか言いようが無いくらい馬鹿馬鹿しい状況。
このままだと、オンラインで小説を発表するという行為自体がとても恥ずかしい行為になってしまいそうである。
それだけならまだしも、「読ませてくれてありがとうくらい書け」だと?
もう、ね。おじさんあきれちゃいましたよ。
小説を限られた空間ではなく、一般に対して発表するっていうのは、自分の思想なり考えなりを世の中に対して問うということだ。そして、自分の考えを普段使っている言葉ではなく、小説として世に出した時点で、作者に読者を拒む権利はなくなるのである。
当然、世の中の全ての人が自分と同じ考え方をしているとは限らないから、自分の意見が100%伝わることなどあり得ないという前提にたち、それでも自分の意見を伝える為にはどうすれば良いかということを常に研鑽することが小説を表現するものが持たなければならない覚悟である。
つまり、自分とは正反対の意見の持ち主に読まれることまでを意識して初めて、創作者としてのスタートラインたつ訳だ。
それが嫌だと言う人間に、自分が世に出す文章を小説であると宣言する資格は無い。それはただ、自慰行為を見せつけているだけで、はなはだ不愉快なものである。
そして、読者には常に誤読の自由があることを忘れてはならない。小説というものは、一般にオープンにされた時点で、読んだ読者のものになるのである。
読者に作者の意図したところが作品だけで正確に伝わらなかった場合、それは、作者の力量が足りなかっただけで、読者には全く責任はない。
むしろ、そのような読者に対して伝えられなかったことを恥じるべきである。
にもかかわらず、そこで、こういう意図をして書いたんだからそう読み取れって強制するのは、完全に作者の越権行為だ。
全世界にオープンなネットで創作物を発表するってことは、読んでほしいんだよな。
インターネット上では、読み手は少ないだろう。オンライン作家が増えていくだろうから、比率のアンバランスさはこれからますます大きくなると思われる。
そんな状況だったら、「読んでくれてありがとう」は言えても、「読ませてくれてありがとうと言え」なんて口が裂けてもいえませんやな。
これは、小説に限らず、どんな分野においても同じこと。
たとえ、アマチュアであろうとも表現者の端くれでありたいのであれば、その成果物はそのまま自分の思想を相手にぶつけていることだということを理解し、それに賛同する人も反対する人もどうでもいい人もいるという当たり前の事実をもっと意識すべきである。
そして、反対する人からの反対表明に傷つく覚悟が持てないのであれば、最初から、表現などしない方がその人のためである。
そんな表現に対する意識が低レベルな人の書く小説には、鼻くそ程の価値もない。
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記事参照&引用させていただいたのでTB打ちましたが、タイトルをちまっと変更したので2回TB打ちました……ご面倒おかけして申し訳ないのですが、1回目のは消してくださいませ。<気にならないならそのままでもワタシの方はOKっス(記事のURL自体は変わらないんで)
それにしても……いやぁ、なんか、すごいですね、世の中色んな考えの方がいらっしゃって(笑)
>それにしても……いやぁ、なんか、すごいですね、世の中色んな考えの方がいらっしゃって(笑)
ね、ホント、びっくりしましたよ。
正直まだ良い足りない部分はあるんだけど(久々に毒全開、徹底的に書いたろうかと思ったよ…)、あんまりやりすぎても逆効果かなと…。
ちなみに、奥さんも怒り心頭でございましたわ。
いつもは読ませてもらってるだけだったんだけど、
同じく馬鹿馬鹿しいと感じるオッチャンが出てきましたよ。
――馬鹿馬鹿しいというか、ウケました。
ゴメン、笑い過ぎでお腹が痛いです……
そういう諸説を流布しているのがドコの誰だか知らないけれど、
あ、アレか。某所でよく言われる「ゆとり教育の賜物」とかカシラ。
>ゴメン、笑い過ぎでお腹が痛いです……
そんなに……。
なんか、色々とトラックバック貼ってもらったりしてるところたどっていってると、去年あたりにも同じようなことがあったらしいよ。
一通り、自分のBLOGでぶちまけて、すっきりしたところだと笑えてくるんだけど、それまでは、何か馬鹿馬鹿しくて奥さんと二人で怒ってましたわ。
これが「ゆとり教育の賜物」だったら、そんな教育には断固反対であります。